2013年7月15日月曜日

内と外



建築に明るくないのに、どうしたって建物を撮ってしまうのは、
素材が複合してできているということに感動するからだと最近強く感じます。

石、木、鉄、ガラス、土。


あまりに強い光が玄関からぐっと一線に差し込んできており、
実際目でみた風景もこんな風に外の様子は白くぼやけていました。

吸い込まれそうだけれど、そこは外。

ん?
吸い込まれるのが内側という考えは、そもそも固定概念なのかもしれない。
外に出る=自由になる、開放というような考えは、
社会人のありきたりな思考になってしまっているようです。

内(家)の中で、いかに楽しむか、いかに弾けるか。

もう少し、実行していきましょうと思った次第。

2013年5月3日金曜日

色のこと



























葉の中に隠れるように咲いていました。

補色とはうまいこといったもので、
まさに互いを補い合いながら調和している姿には、見惚れます。

みどりの若さはほんの一瞬で、
もう今時期は随分と世間慣れした深みを増していますね。
そのみどりったら、今度は幹の焦茶と相まって、
きりっとした表情になっています。

みどりの豊かさは、色でも感じられるものです。


影が及ぼすもの




























影が及ぼすのは、暗さだけではないと気がつきます。








2013年4月7日日曜日

道草




























人工の中に隙き間があって、そこに住みつく自然。
人には決して作れない強さを感じる春です。

あの日から、さくらを見ると、
いま使っている電気や、ごはんを食べていることや、
そばにいてくれる人や、持っている本や音楽や、
とにかく、自分を支えてくれることの多さとありがたさを感じずにはいられません。

愛する人たちと健康と仕事。

これ以上、何を望むというのでしょう。















2013年3月12日火曜日

何を見ているか































航空写真。



というのは冗談だけれど、
テクスチャーの視覚情報というのは、
非常に曖昧で面白いです。

上からの眺め、という視点は同じだけれど、
実はこれ、内装工事現場の床面。
スケルトンにしている途中でした。

もともとは人が作ったものなのに、
こういう瞬間の手触りは、自然のようで不思議です。


結局は、どんな対象物を見ているかという認識に、
普段気を使っていないのでしょう。
どうしても近くにあるものは当たり前になってしまうので、
時々立ち止まって丁寧に見てあげねばなりませんね。




2013年3月5日火曜日

いつかの空































去年の秋口くらいだったかしら。
紫ともピンクともいえないような空気になった時がありました。

空の色というよりも、空気の粒子が全て曖昧な色に染まっていて、
あきらかにそれは空気の色でした。

今、そういう瞬間を逃している気もします。
感覚の毛穴をもっと広げて生きてゆきたいと思っています。

美しい
































整然というほどの秩序がないまでも、
美しいと思う瞬間。

身の回りにたくさんあります。
見つけると、ひとりでもにやついてしまいます。

2013年3月3日日曜日

あしもと







































その日はとっても気持ちのよい日で、
あしもとの何気ない植え込みの中にある、
乾きと湿り気にも敏感になっていたのでした。

たとえば、こんな風合いのニットやストールは、
きっと心地よいだろうなぁとも思ってみます。


2013年3月2日土曜日

月のような雪

































最近、気がついたのは、
日常の中で月面のようなテクスチャーに惹かれる節があるということです。

こちらは雪の降った翌々日くらいに、
上から垂れた水滴の部分だけ溶け始めた駅のホーム。

あっ、あるいはホットケーキを片面焼いたときみたいかしら?

2013年3月1日金曜日

写真




 




光で物が見えている、という当たり前に気がつく。


後ろの葉にあたる光が、
奥ゆかしく、私は好きです。


見えないのではなく、見ようとしないだけ。


ある日の代官山にて。